ハッピーバースデイ


ずっと頑なに手を離せずにいたファントムに私が別れを告げたのは、あなたに出会う少し前のことでした。

彼は古くからの友人でした。私は彼のことを心から愛していました。

ファントムは私にいつも温かい幻想を見せてくれました。

彼が作り出す幻の中で、私は無条件に愛されて満たされていました。

私はその幻想が唯一無二の真実だと信じていました。

人生を捧げても何の後悔もないと思えるほど、幻は甘ったるく真実味がありました。


長い年月が流れてゆきました。

遠い昔に失ったものに焦がれ続けるその日々は、絶望の底の底には温かさが潜んでいるのだと錯覚させられるような、不思議と甘い日々でした。

私たちは遊び続けました。くるくると輪になって永遠に追いかけっこを終われない子供たちのように。

彼は私の寝床に忍び込み、何度も何度もおとぎ話しを聞かせてくれました。

世界で一番甘美な響きで語られる物語り、それはもしかしたら子供の頃に誰もが平等に与えられ、享受し、成長と共に奪い去られる種類の幻想と同質のものだったのかもしれません。


ある日、ひゅーひゅーと鳴る隙間風のようにしゃがれた声で、あいしているよと彼が言いました。もちろん同じ気持ちよ、と私は迷いなく返事をしましたが、ふと横を見ると、そこにはぼろぼろに擦り切れて変わり果てたファントムの姿がありました。いつの間にか時間が過ぎ去ってしまったのです。

私は立ち尽くし、呆然としました。


光り輝く安心の王国はどこにも見当たりませんでした。

ただ茫漠たる野原が目の前日広がっているのを私はこの目で確かに見ました。


そしてようやく、あんなにも追いかけずにはいられなかったものが幻影だったことに私は気づいたのです。


走り続けた日々は、幻影を真実だと思おうとする己への執着と化していました。それは心の中に悪魔を住まわせていることと同じことでした。

私は何日も悩み続け、ある日決意しました


最後の夜私は泣きました。彼は笑っていました。

そして彼が静かに頷いたので、私はその体にナイフを突き立てました。


雪深い冬の夜に鮮血が飛び散りました。彼は声を漏らしながらぶるぶる震えていましたが、やがて静かになりました。何度も名前を呼び、優しく撫でた彼の体がそこにぐったりと横たわっていました。


私は彼を庭に運び、桜の木の下に埋め、手を合わせました。

それから家の中で私はファントムの事を考えました。ずっとずっと考えていました。涙が枯れるまで何日も泣き、ほんとうに、何度も何度も繰り返し泣き、そうして私は少しづつ彼のことを思い出さなくなっていきました。


いつの間にか春がやって来ようとしていました。私はようやく外に出る気分になり、長く閉ざしていた玄関の扉を開けました。

その時に見た光景を私はいつまでも忘れないでしょう。

私の目にはなにもかもが真新しく、本当に美しく見えたのです。


駅までの道のりの中に、新鮮な風景をいくつも見つけました。それはいつもの見慣れた風景ではありませんでした。同じはずなのに、ずっと輝きに満ちていました。


人が幾度も生まれ変わりながら生を辿る生き物ならば、あの時の私は生まれたばかりの赤ん坊でした。

赤ん坊の私は大きな声で泣いていました。生を授かり突然放り出された世界の手触りのあまりの鮮やかさに、笑いたいのに泣いてしまうのです。

私はファントムに別れを告げた代わりに、幻影の打ち砕かれた真実の世界を見ることを許されたのでした。


人に会えば、今までちらりとも見えなかったその人の素晴らしさを発見して目眩がするような思いになり、はじめて恋に落ちたかのような高揚を感じました。

街を歩く見知らぬ人たちに突如堪えられないほどの愛情を覚えて、片っ端から抱きしめて回りたい衝動にかられましたが実行には移しませんでした。


そんな季節に私はあなたに出会いました。


私は新しく授かった目を見開きあなたを見つめました。鮮やかに音を受け取る鋭敏な耳であなたの声を聞きました。言葉にならない生まれたての言葉であなたに語りかけました。

そうするとあなたがあなただと理解できました。


聡明な思考回路で世界を解こうとする清らかな好奇心が見えました。

深い考察とともに人を思いやる真剣な眼差しがおどけた態度に隠れていることを見つけました。

途切れた優しさの尻尾を求めて泣き続けている幼いあなたが見えました。

そして、何度打ちひしがれても正しく背筋を伸ばすあなたの美しい立ち姿と、そうせざるを得なかったあなたの寂寞が見えました。


それは恋などではありませんでした。もっと強い感情、鋭い衝撃のような感動でした。

こんな風に形容することを許してもらえるのなら、私はついに同じ生き物に出会えたのです。

遥か遠い過去から定められていたのだと思いました。

それから夢中であなたとふたり、季節を渡ってここまで来ました。


ここにあるのは東京の夏です。街のあちこちに夏の因子が溶け込んでいます。

きっとその中にはあなたが過ごしてきた二十数回の夏も含まれているのでしょう。今年の夏がよりいっそう愛しく感じられるのはそういった理由が含まれているのかもしれません。

生まれた街の夕暮れがまぶたに焼き付いて離れないのはどうしてでしょうか。あの穏やかな海は幻だったのでしょうか。

繋がらない二人分の記憶の断片が頭の中でちかちかしています。


あなたにはじめて会った日、私は途方に暮れていました。 あまりにも美しく透き通ったあなたの目を、なんの用意もなくうっかり見つめてしまったから。

ハッピーバースデイ。

世界と出会ったあなたに心からのおめでとうを。


あの日、あの海で

夕暮れがはじまっていた。私たちは橋の途中で車を停め、喪服のジャケットを脱いでから車を降りた。骨壷を手のひらにのせて、深い深いエレベーターを君と二人で降りていく。そこは小さな島だった。海までの道を手を繋いで歩いた。下から橋を見上げると、緑の中の幾何学模様みたいに見えた。

森を抜けると急激に海が広がった。夕日が海に半分落ちて、この世のものとは思えない美しいオレンジ色が燃えていた。

誰も知らないけれど、瀬戸内の海は世界で一番綺麗な海なんだよ。在りし日の父がそう教えてくれたことがある。

骨壷をあけて、私はあの人と自分の手の中に骨をのせた。意外なほど軽いのに確かな質量を主張するかたまりを手のひらに感じる。わたしたちはうなずいて静かにそれを海に返す。白い粉は一瞬で海に同化する。

魚がもっと、ずっと遠くまで運んでくれるよ。

あの人がそう言う。

夕日が沈んでいく。丸く穏やかな島々が点々と浮かび、大きな船がゆっくりと海を渡っていく。私たちはその美しさにしばらく言葉を失ったのち、父と私たちを繋いでいた幽玄をあとにして車に戻った。

長い時間

「きみ、いま泣きそうな顔をしているよ」そう言われて拍子抜けした。そんなわけないじゃないの、どちらかというと笑いたい気持ち、そう思っていたのに、その瞬間、口元が震え出して涙が出てきた。さっきから頭の中が熱くて仕方なかった理由が分かった。

わたしは目の前にいる相手を通して過去と出会い続けているんだと思った。これはいつか終わるの、真っさらな瞳であなたのことを見つめられる日が来るの。確かにこれはわたしがわたしに向き合うべき問題なんだと思う。


物語りを書いていた。あなたは冷静な文体で、結局のところ誰にも出会えなかったというお話しばかり書くんだねとあの人は言った。そうなのかもしれない。私は今まで色んな人と関わってきたけれど、目の前にいる相手と向きあった事なんか本当はたったの一度もなかったのだと思う。だから再会を願ってしまうのかもしれない。例えばそれが物語りの中でのみ為されるのだとしても。


きちんと話すことができなければ取り返しがつかないほどに誰かを傷つけてしまうという局面においてでさえ、私はなにも言葉にすることができなかった。流れていく時間をばかみたいにただただ見つめては、困った顔で目の前の人を見ていた。あなたの目にわたしがどんな風に写っているのかは死にたくなるほどよくわかった。

言葉のない世界で何年も考え続けて、やっと掴んだ僅かな言葉を連ねて、出せない手紙を何枚も書いた。とっくの昔に手遅れになった言葉たちをそれでも紡ぎ続けることしかできなかった。


涙はあの頃の私をつたってほんの少し流れていった。


伝わらなくたって伝え続けることが愛することなんだと、あの日一人きりで立ち上がろうとした私は結論づけた。


わたしは言葉にならない声でいつも話し続けていた。はじめてあなたに触れた日の喜びや、夏の夜の取り留めのない空気の色や、愛に関する言葉のない思索について、上手く伝えられない自分を不甲斐なく思いながらそれでも話し続けていたんだと思った。


ずっと考えてきたことについてでさえ上手く言葉にできない私を、私はいつか許すことができるのかな。

春菊のおでん

はたちの頃に仲良くしていた友人のお姉さんは今にも消えてしまいそうな美人だった。

折れそうに細い身体の上で白い鎖骨が透き通っていた。こぼれそうに大きな目をしていた。ロングヘアーがふわりふわりと小さな頭で揺れてお姉さんをより儚くて綺麗に見せていた。

彼らは二人きりの姉弟だったので、お姉さんは私のことを本当の妹のようだと言って可愛がってくれた。

わたしよりもよっつ歳上のお姉さんは、家から車で一時間ほどの街で一人暮らしをしていて週末に帰ってくる。

友人はお姉さんのことがあまり好きではないのだと言っていた。

厳しい両親の言うことをよく守り優等生として育ったお姉さんは、高校生のある日とつぜん壊れたように恋に落ちた。相手は美術の先生だったそうだ。それは道ならぬ恋つまり不倫で、お姉さんは心を患って精神科に入院、学校を中退、先生の奥さんが泣きながら家に押しかけてくる、そういうことがきっかけで家庭が壊れかけていた時期があるのだと友人から聞いたことがある。

あいつのことは今でもよく分からない。でもたまに君に似ているところがあるような気がすることがある。

そんなことを言っていた。

お姉さんはけして自分の部屋に他人を入れなかった。口数は少なく、ふわりふわりと静かに話し、自分のことは語らなかった。

お姉さんにはなんだか現実感がなかった。確かにそこに居たはずなのに、髪に隠れた横顔と、白い腕で揺れていた金色のチェーンしか思い出せなくなるような。

あの頃の私にはそれが手の届かない場所にある美しさに見えた。わたしはお姉さんに憧れて髪を伸ばして、同じ香水をつけた。

お姉さんのことが好きだった。

ある日3人で居酒屋に入った。お姉さんは鈴の鳴る声で春菊のおでんを、と店員に頼んだ。なんでもないような話しをしていた。本当に話したいことはなにひとつ言葉にできずに時間だけが過ぎた。二人になってから友人にお姉さんの話しをしつこくせがんだが、友人はお姉さんのことをほとんどなにも知らなかった。

あの夜から数年が経った。ひらがなの柔らかな響きで彼女の名前を思い出すことが今でもたまにある。どうしているんだろうと思う。

あの頃の私は彼女に踏み込んでいく勇気なんてこれっぽっちもなかったのに、お姉さんはさみしかったんじゃないかとほとんど確信のように思う。本当は待っていたんじゃないか、なにもかも話してみようかしらという考えがちらっと頭を過ることがあったんじゃないか、自分の存在を現実として誰かに掴んで欲しかったんじゃないか。あんなにも排他的な美しさを放ちながら、裏腹な願いがあったんじゃないか。

そんなことを自分勝手に思ってみるのは、それが単純に私の願いだからなのだろうけれど。

友人との交流がなくなってしまってからお姉さんに手紙を書いたことがある。手元に届いたのかどうかはわからない。返事はなかった。

もう二度と会えないだろう彼女は24歳の美しい姿のまま私の中で永遠に揺れ続けるのかしら。たまにそれに気付いては、お久しぶりです、お元気でしたかって

2014.03.03

何億年もかけてやっと巡り合えたはずのあの人の気持ちを踏みにじってしまったので、さっさとこの人生は終わりにしたいと3年前の私は思っていた。そうすればあの人の子供にでも運良く生まれ変われるかもしれないし、とか。

小学校に上がる直前に母が再婚し、わたしは大きな庭がある義父の実家に引っ越してきた。閉鎖的な雰囲気のある地元の学校に、トロくて極度に人見知りだった私は馴染めずに浮いていた。友達は一人もできなくて、隅っこの方で本を読んだり落書きしたりしていた。同級生のことは怖かった。義父は優しい人だった。しかし私が小学校高学年の時に突然仕事を辞めた。母は次々に生まれた四人の子供たちの育児と仕事に追われることになり、経済的にも精神的にも限界の場所に立たされることになった。家の中で唯一の頼りだった母はいつもヒステリーを起こしている。私は一人で朝ごはんを作って食べて登校し、学校では一言も口を聞かずにできるだけ目立たないように過ごし、家に帰って来てからは自室に引きこもって本を読んだ。

そういう生活をしていた14歳の秋、あの人と出会った。インターネットの画面の中で出会った彼は生徒会や部活や受験や恋愛にまっすぐに励んでいて、わたしはそれに本当に憧れていた。あの人の見ている風景を聞くのが一日の楽しみだった。

高校に上がる頃には私は理由の分からない絶望感に苛まれるようになっていた。ベットから起き上がれない日も多かった。幼い弟妹たちのが家の中を走り回るのを見ては発狂しそうになった。成績は下がり続け、クラスメイトからは腫れ物を触るような目で見られ、先生から君は邪魔者だから学校を辞めてほしいという旨を指導された。
どの糸がどんなふうに絡まって自分が苦しいのか全く分からなかった。ただ苦しくて苦しくて死んでしまいそうだった。
わたしはあの家を出て、寮がある高校に入り、自分で生活して行くことを決めた。なんとか変えたかった。状況も自分自身も。

寮での生活はめまぐるしかった。同じ釜の飯を食いながら、わたしは生まれて初めて友達を持つことができた。相変わらずわたしは不思議ちゃんキャラだったけれど、周りはそんな私を受け入れてくれた。本当に恵まれていたと思う。昼間は小学校の給食の世話をして働き、夜は学校に通った。忙しかったけれど、その隙間を縫ってあの人に公衆電話から電話した。

あの人に実際にはじめて会ったのは19歳の時だ。出会ってから五年が経っていた。不思議な感覚だった。始めて会う人なのによく知っている、緊張しているのに一方で親しみを感じている。あの人は全身黒ずくめで、折れそうに細い体をしていた。京都駅の大階段を登りながらあの人は私の身長の大きさにびっくりしていた。そのあとすぐに付き合いはじめた。一緒にいることが自然だった。一緒に居ないことの方が不自然だった。

遠距離恋愛だった。私たちはお互いの現在の状況や、生きてきた道のりや、そこから得た考えを毎晩電話で話し合った。それまでは自分について聞かれても適当に嘘を並べ立てていたので、自分の話しを誰かにするのなんてはじめてだった。言葉を尽くして誰かと話しをすること、それを受け入れてもらえることに私は感動していた。「わかるよ」その言葉の持つ熱さや甘さが身体を突き抜けていった感覚は今でも忘れられない。話しても話しても話し足りなかった。あの人は私が自分の体験や考えを言葉に変換するのをゆっくり待ってくれた。一つ一つ言葉にしながら、わたしは自分の生きてきた道のりをはじめて客観的に見ることができた。そのことを今でもあの人に深く感謝している。

話しながら沢山のことに気づいた。わたしは母のことを恨んでいるようだった。勝手に私をあの家に連れて行き、勝手に結婚し、勝手に子供を産み、私を一人ぼっちにした。彼女の自分勝手にぶんぶん振り回されてわたしは辛かったんだと。母が新しい家族にかまけているように見えた。わたしのことなどどうでもいいと思っているように思えた。家庭のみならず学校にも馴染めないことで自分を責めるようになっていた。

あの頃、わたしはあの人のことを父親のように思っていた。誰ともうまく通じ合えずに生きてきた私にとって、はじめて私を理解してくれたあの人は世界の全てだった。あの人と生きていきたい、そう願いながら、しかし私はあの人を裏切った。言葉にすることだけでは終われない、自分の欠陥があるような気がしていた。怖かった。私は通常の愛情を受けずに育ったんだ、だから通常通りに人を愛することなんてできないんだ、そんなことを思っていた。
自分が犯した罪の重さはつぐないながら理解することしかできない。どんなに苦しむことになるか、想像もつかなかった。

あの人を失って、わたしは色んなことをノートにぶちまけながら、あの人に話しをした続きを考えていた。あの人を裏切ってしまった根本的な原因を探りたくて、母のことや家族のことをよく書いた。
自分や自分の状況や母への恨みつらみを散々書き続けていたある日、ふと、そういえば母は毎晩欠かさず私たち家族に夜ご飯を作ってくれていたなあ、それってすごいことだったよなあと思い至った。母は五人の子供を育てながら自営業を営んでいた。想像を絶する苦労をあの頃の母はしていただろうと思う。
私はそんな母を思いやっては来なかった。というよりもどうしても思いやる気になれなかったのだ。母が働いているからといって、家の手伝いや弟妹の面倒を見る気にはなれなかった。それはあなたのやるべき仕事でしょうと私はあの時思っていた。
私は母に私の母だけで居て欲しいと思っていたんだってことにはじめて気づいた。私のためだけに家を掃除し、私のためにご飯を作り、私のためだけに話しかけて、私のためだけに生きて居て欲しかった。普通の家庭のお母さんで居て欲しかった。それは自分勝手な願いかもしれないが、知らない人ばかりの土地で誰ともうまく関係を結べなかった私にとって祈るように懇願だった。母はいつも誰かのものだった。幼い弟妹や、新しい父や、仕事先の人。たまに私の方を向いてくれたと思っても、私がどうしてなんにも協力しようとしないのか理解できない母はヒステリックだった。

誰も悪くなんかなかった、そう思った。さみしかったんだ、そうだわたしはさみしかった。たったそれだけのことを口にすることができなかった。それが苦しかった。そして苦しさやさみしさが自分の欠陥ではなかったんだ、とも。

母がへとへとに疲れて帰って来る、それでも必ずご飯を作り、自室に閉じこもっている私を無理矢理食卓につかせる。私たち家族七人は険悪な雰囲気の中で毎日ご飯を食べた。決まってなにかしらの口論になる。口火を切るのは母だ。もしくは私だ。私はその時間が大嫌いだった。無意味に続けられる儀式のように感じられた。
それでもごくたまに家族の団欒のようなものが、奇跡みたいに訪れる瞬間が確かにあった。
もしかするとあれは愛意外のなにものでもなかったのかもしれないなと思った。嫌な顔をしていても、それでも話し合いたい、関わりたい、顔を見ていたい、諦められない、あなたと楽しい時間を持つことを。そういう気持ちは愛意外のなにものでもないんじゃないか。

そうやって手に入れた新しい認識は強い希望だった。これからは自分は人を思いやれるだろうっていう希望、どんな状況に置かれていても、その時はうまくやれなかったとしても、強く人を愛することを諦めずに進めるという希望だった。そう思うと、今まで十何年感じてきた苦しさが嘘みたいに消えていった。

この三年間、私は誰ともきちんと繋がれないことが本当に辛かった。今の自分を持って、もう一度きちんと誰かと話したかった。言葉を尽くして関係を築きたかった。未来も過去もなくしてしまうくらいの激しさで誰かと親密になりたかった。それが与えられれば今度こそ自立した精神で大切にできると思っていた。人を大切にするってどういうことなんだろう、そんなことをずっと考えていた。「僕は酒なんかなくても君にならちゃんと話せる。」半年前にどこぞやでこの言葉を拾ったときは泣いてしまった。それだけのことが私には何年も許されなかった。

ばかみたいに細い細い糸を紡いでは断ち切りながら、わたしはずっとあなたを待っていたんだと思う。はじめまして。今度はまっすぐに、あなたを見つめることができると思うんだ。