春菊のおでん

はたちの頃に仲良くしていた友人のお姉さんは今にも消えてしまいそうな美人だった。

折れそうに細い身体の上で白い鎖骨が透き通っていた。こぼれそうに大きな目をしていた。ロングヘアーがふわりふわりと小さな頭で揺れてお姉さんをより儚くて綺麗に見せていた。

彼らは二人きりの姉弟だったので、お姉さんは私のことを本当の妹のようだと言って可愛がってくれた。

わたしよりもよっつ歳上のお姉さんは、家から車で一時間ほどの街で一人暮らしをしていて週末に帰ってくる。

友人はお姉さんのことがあまり好きではないのだと言っていた。

厳しい両親の言うことをよく守り優等生として育ったお姉さんは、高校生のある日とつぜん壊れたように恋に落ちた。相手は美術の先生だったそうだ。それは道ならぬ恋つまり不倫で、お姉さんは心を患って精神科に入院、学校を中退、先生の奥さんが泣きながら家に押しかけてくる、そういうことがきっかけで家庭が壊れかけていた時期があるのだと友人から聞いたことがある。

あいつのことは今でもよく分からない。でもたまに君に似ているところがあるような気がすることがある。

そんなことを言っていた。

お姉さんはけして自分の部屋に他人を入れなかった。口数は少なく、ふわりふわりと静かに話し、自分のことは語らなかった。

お姉さんにはなんだか現実感がなかった。確かにそこに居たはずなのに、髪に隠れた横顔と、白い腕で揺れていた金色のチェーンしか思い出せなくなるような。

あの頃の私にはそれが手の届かない場所にある美しさに見えた。わたしはお姉さんに憧れて髪を伸ばして、同じ香水をつけた。

お姉さんのことが好きだった。

ある日3人で居酒屋に入った。お姉さんは鈴の鳴る声で春菊のおでんを、と店員に頼んだ。なんでもないような話しをしていた。本当に話したいことはなにひとつ言葉にできずに時間だけが過ぎた。二人になってから友人にお姉さんの話しをしつこくせがんだが、友人はお姉さんのことをほとんどなにも知らなかった。

あの夜から数年が経った。ひらがなの柔らかな響きで彼女の名前を思い出すことが今でもたまにある。どうしているんだろうと思う。

あの頃の私は彼女に踏み込んでいく勇気なんてこれっぽっちもなかったのに、お姉さんはさみしかったんじゃないかとほとんど確信のように思う。本当は待っていたんじゃないか、なにもかも話してみようかしらという考えがちらっと頭を過ることがあったんじゃないか、自分の存在を現実として誰かに掴んで欲しかったんじゃないか。あんなにも排他的な美しさを放ちながら、裏腹な願いがあったんじゃないか。

そんなことを自分勝手に思ってみるのは、それが単純に私の願いだからなのだろうけれど。

友人との交流がなくなってしまってからお姉さんに手紙を書いたことがある。手元に届いたのかどうかはわからない。返事はなかった。

もう二度と会えないだろう彼女は24歳の美しい姿のまま私の中で永遠に揺れ続けるのかしら。たまにそれに気付いては、お久しぶりです、お元気でしたかって