長い時間

「きみ、いま泣きそうな顔をしているよ」そう言われて拍子抜けした。そんなわけないじゃないの、どちらかというと笑いたい気持ち、そう思っていたのに、その瞬間、口元が震え出して涙が出てきた。さっきから頭の中が熱くて仕方なかった理由が分かった。

わたしは目の前にいる相手を通して過去と出会い続けているんだと思った。これはいつか終わるの、真っさらな瞳であなたのことを見つめられる日が来るの。確かにこれはわたしがわたしに向き合うべき問題なんだと思う。


物語りを書いていた。あなたは冷静な文体で、結局のところ誰にも出会えなかったというお話しばかり書くんだねとあの人は言った。そうなのかもしれない。私は今まで色んな人と関わってきたけれど、目の前にいる相手と向きあった事なんか本当はたったの一度もなかったのだと思う。だから再会を願ってしまうのかもしれない。例えばそれが物語りの中でのみ為されるのだとしても。


きちんと話すことができなければ取り返しがつかないほどに誰かを傷つけてしまうという局面においてでさえ、私はなにも言葉にすることができなかった。流れていく時間をばかみたいにただただ見つめては、困った顔で目の前の人を見ていた。あなたの目にわたしがどんな風に写っているのかは死にたくなるほどよくわかった。

言葉のない世界で何年も考え続けて、やっと掴んだ僅かな言葉を連ねて、出せない手紙を何枚も書いた。とっくの昔に手遅れになった言葉たちをそれでも紡ぎ続けることしかできなかった。


涙はあの頃の私をつたってほんの少し流れていった。


伝わらなくたって伝え続けることが愛することなんだと、あの日一人きりで立ち上がろうとした私は結論づけた。


わたしは言葉にならない声でいつも話し続けていた。はじめてあなたに触れた日の喜びや、夏の夜の取り留めのない空気の色や、愛に関する言葉のない思索について、上手く伝えられない自分を不甲斐なく思いながらそれでも話し続けていたんだと思った。


ずっと考えてきたことについてでさえ上手く言葉にできない私を、私はいつか許すことができるのかな。